明治38年8月、鈴木三重吉は東京帝大1年の時、心の愁いをいやすため来村し、回船問屋下田家に滞在しました。そこで、女主人と長女初代と弟らの、厚い人情と温かい風土にふれ、次第に病が軽くなりました。その時、夏目漱石に近況報告として書き送ったのが、漱石の激賞を得て一躍文壇に登場した処女作「千鳥」です。
旧下田屋敷跡に立つ碑に刻まれている「親のそばでは泣くにも泣けぬ沖の小島へいって泣く」は、能美島滞在中の三重吉の心境を友人に書き送った手紙の一節です。
2012年11月01日公開
商工観光課 観光係 (問) 0823-43-1644
明治38年8月、鈴木三重吉は東京帝大1年の時、心の愁いをいやすため来村し、回船問屋下田家に滞在しました。そこで、女主人と長女初代と弟らの、厚い人情と温かい風土にふれ、次第に病が軽くなりました。その時、夏目漱石に近況報告として書き送ったのが、漱石の激賞を得て一躍文壇に登場した処女作「千鳥」です。
旧下田屋敷跡に立つ碑に刻まれている「親のそばでは泣くにも泣けぬ沖の小島へいって泣く」は、能美島滞在中の三重吉の心境を友人に書き送った手紙の一節です。